変革者と日本人

 現在の日本といえば、腐敗政治を露呈するような形になってしまっている政府や超少子高齢化社会に伴って様々な課題が可視化されるようになってしまっている社会であり、国民がなかなか希望を見出せない先行きの暗い国となってしまっている。国会議事堂は、もはや高齢者交流センターのようになり、民を思わず、自身の富や権利を巡る醜い争いを日々繰り広げてしまっている。

 そんな中、世界も個人の私利私欲に塗れた戦争や紛争の勃発や企業の利権探求による環境破壊、富裕層の社会支配による国の腐敗政治といったように呆れた社会へと変化していってしまったのである。

 しかしながら、日本の場合、このような現状であっても、何も行動を起こしたりしないのが、社会的文化としてある。もしくは、これらの問題に気づかないといった平和故に起きている前提的問題もある。反対に、世界を見ると、多くの人間がこのような現状に気づき、不満を持ち、立ち上がって行動をしているのである。世界では、古来から民衆が反乱を起こし、革命を起こしてきた歴史があり、それらは、現在でも人々の魂に根付いているのである。一方、日本も歴史を振り返ってみれば、そのような革命は数多く存在していたのである。では、なぜ現代になって日本人の革命意思は、弱まってしまったのであろうか。

 その要因の一つとして、現代の日本の社会風潮が挙げられる。その社会風潮とは、あらゆる物事で世論の大多数に存在していれば安全であり、そこから逸脱する杭は打たれるという風潮である。また、これらの環境で育ってきた人間は、常に社会的な安全を求めてしまうようになり、自分に自信が持てなくなってしまうという悪循環を引き起こしている。この結果、恥ずかしがり屋で、保守的であり、服従を嫌がらず、自分に自信を持てない現代の日本人が生まれたのである。勿論、全日本人がこれらの特性に当てはまっているわけではなく、世界でも、日本人のような特性を持った人間も存在する。しかしながら、ほとんどの日本人が、これらの特性を持っている。

 つまり、誰かが出る杭として社会から打たれ続けたとしても、それに気づき、一緒になって打たれ、助け合うような環境がなければ、今の日本では、変革が叶わないのである。一方で、世界では、この環境が整っているのである。

 まず我々が取り組んでいかなくてはならないのは、一人一人が強い意志を持つことである。そして、互いに協力し合う環境を整備しなくてはならない。現在、日本社会での急激なインターネットの普及により、協力し合う文化が薄れてきているのである。こうした現状を変えていくためにも、人と人との直接的な交流を担う娯楽や祭りなどの再成熟が今の日本には必要なのかもしれない。そして、それらは全てアナログであり、デジタルであるべきではないのである。

 結果として、デジタルの時代であるからこそ、アナログが重要になってきたのである。また、それらは現代において非効率的である一方で視点を変えていけば効率的なのである。アナログに価値を感じ、現状から逸脱することが、社会が変わるきっかけであり、今の日本に必要なのかもしれない。


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