常識からの逸脱者

 社会や歴史に名を残すような有名人や偉人には、皆ある共通点がある。それは、常識からの逸脱者であるということである。

 まず、皆さんに考えていただきたいのは、社会の秩序や常識、習慣に染まりきった普通の人間からは魅力や尊敬、オーラを感じるであろうか。少なくとも、私はそのような人間からはそれらを感じないのである。では、どういった人間からそれらを感じるのであろうか。

 それは、社会秩序や規則という枠組みの中で自身の理想を追い求め続け、時には、社会に抗いながらも、常識という概念に囚われず、常に前に進み続けている人間である。例えるのであるならば、L・ダ・ヴィンチやA・アインシュタイン、S・ジョブス、C・ロナウドのような人達である。

 世の中は、常に何かが変わることで、成長や発展を遂げている。これは、当たり前のことであり、忘れてしまうことでもある。現状から何も変わることが起きなければ、それは、無の状態となり、時間や空間、物体の存在を否定していることになる。しかしながら、当たり前に時間が流れ、環境や状況が存在し、物事が動き続けている日々の中で、これらの変化価値を感じにくくなっているのである。また、これらの変化価値を感じにくい人間であるほど、受動的に日々を生き、魅力を何も感じられない人間になってしまっているのである。

 反対に、変化価値を感じることができる人間は、主体的に日々を生き、常識に囚われず、自分に強い自信を持っているのである。常識や習慣、規則などといった何か既存の枠組みから逸脱をするには、強い意志が必要になる。その意思は、日々の主体性や感情といった自身の気の持ちようから生まれてくる。

 今の現状や社会に対して何かしらの不を感じることで、今という状態を変えたいという感情が芽生え、強い意思が生まれるのである。その意思は、時には、常識や規則によって打ち砕かれるのかもしれない。しかしながら、それらに服従したままでは、何か新しいものは、生まれないのである。何か新しいものが生まれた環境や状況下では、新しい常識や規則が生まれる。その常識や規則といった人々を縛り続けるルールを自身で作ってしまえば、それは、自由である。

 社会や歴史に名を残すような有名人や偉人は、皆、自身の自由である理想をを追い求めた結果として、常識からの逸脱者であったのである。今という自身を取り巻くあらゆるものに囚われているままでは、何者にもなれないのかもしれないのである。




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